この1週間ほどで何やら色々あって言いたいことはたくさんあるが、
それらについてはまた後でゆっくり語るとして、とりあえず話を続けよう。
指原推しを名乗ってはいたものの、グループに対しても指原個人に対しても、
私は特別熱心に入れ込んでいるわけではなかった。
と言うのも、私が知った時点での指原は既に冠番組も持ってそこそこ有名であり、
テレビだけで活動を追いかけるのに十分だったため、
48グループの活動の要である劇場公演に対して全く興味が湧かなかったのだ。
今だから思うが、本格的に48グループのファン活動をしようとすると、
劇場公演を見ないことにはわからないことがあまりにも多い。
当時どうだったのかは記憶が定かでないが、
現状、テレビでよく見かけるようなメンバーは滅多に劇場公演には登場しない。
つまり、「入口」となった有名なメンバーのファンを続ける分には、
出てもいない劇場公演を見る必要性はあまりないのである。
そう考えると、今のシステムの中で無名メンバーがのし上がるのはかなり茨の道だろう。
無名メンバーがファンを増やすために一番にするべきことは、
有名メンバーにくっついてテレビに出演し、少しでも強い印象を与えること、これに尽きる。
私もこうした王道プロセスを経てハマったクチなのだが、
梅本泉に辿り着くまでには実に3年半(お披露目から数えると2年半)の歳月を要した。
劇場公演で頑張ることはもちろん大切なのだが、
「如何にファンを劇場公演に引っ張り込むか」ということの重要性はそれ以上に大きい。
そういう意味では、百貨店やおでかけなどの冠番組を関東に持つHKTはやはり有利だろう。
話を戻すが、このような「ライトオタ」期間は2015年までだらだらと続いた。
その間、山内鈴蘭に浮気したりSKEの矢神久美に推し変しそうになった途端卒業したり、
そこそこ楽しんではいたものの、劇的にハマる要因にまではなり得なかった。
ただ、元祖推しメンの指原がHKTに移籍したことによって、
4グループの中ではなんとなくHKTを一番気にかけていたように思う。
そして2015年2月、ふとしたきっかけで一気にHKT熱が急上昇することになったのである。
(続く)
2015年3月30日月曜日
2015年3月21日土曜日
Road to Ume №1
おそらく、私が初めて認識したAKB48のメンバーは大島優子だったと思う。
石原さとみがインチキ霊能者の役で主演していたドラマに妹だか従妹だかの役で出ていて、
「へえ、この人AKBなんだ」となかなか自然な演技に感心した記憶がある。
当時から、特にネットではAKB商法だ何だと言われていて、
あまりAKBに関するポジティブな情報が入ってこなかった状況だったのだが、
これによってAKBに対する見方が少し変わった。
そういう意味では、私にとっての本当の「入口」とは、大島優子だったのかもしれない。
それから約半年後、メンバーについては板野友美と篠田麻里子の顔を覚えた程度だったが、
22歳の誕生日の夜、たまたま有吉AKB共和国で総選挙直後の特集をやっているのを見た。
2011年、フライングゲットの選抜メンバーを決める選挙である。
ここに出ていたのが、6位の小嶋陽菜と9位の指原莉乃だったのだが、
私はこのとき「この指原って子の方が可愛くないか?」と思った。
「こじはる」が可愛い可愛いと言われているのは知っていたのだが、
少なくともこのときこの番組に映った限りでは、私には指原の方が可愛く見えた。
このときから、私はとりあえず「誰推し?」と聞かれたら「指原推し」と答えるようになった。
当時あまりテレビ番組のアップロードに対して厳しくなかった動画サイトで、
バラエティーの動画を片っ端から漁って見ていたのもこの時期である。
何せバイトもしていない大学生だったので、とにかく暇だったのだ。
渋谷109に貼り出された巨大広告も、わざわざ通学電車を途中下車して写真を撮りに行った。
AKBがいっぱいは発売日に買い、封入特典の生写真はさや姉だったのを覚えている。
この頃、HKT1期生はまさにオーディションの真っ最中なのだが、
私がHKTの存在を意識し出すのはまだ当分先のことであった。
(続く)
石原さとみがインチキ霊能者の役で主演していたドラマに妹だか従妹だかの役で出ていて、
「へえ、この人AKBなんだ」となかなか自然な演技に感心した記憶がある。
当時から、特にネットではAKB商法だ何だと言われていて、
あまりAKBに関するポジティブな情報が入ってこなかった状況だったのだが、
これによってAKBに対する見方が少し変わった。
そういう意味では、私にとっての本当の「入口」とは、大島優子だったのかもしれない。
それから約半年後、メンバーについては板野友美と篠田麻里子の顔を覚えた程度だったが、
22歳の誕生日の夜、たまたま有吉AKB共和国で総選挙直後の特集をやっているのを見た。
2011年、フライングゲットの選抜メンバーを決める選挙である。
ここに出ていたのが、6位の小嶋陽菜と9位の指原莉乃だったのだが、
私はこのとき「この指原って子の方が可愛くないか?」と思った。
「こじはる」が可愛い可愛いと言われているのは知っていたのだが、
少なくともこのときこの番組に映った限りでは、私には指原の方が可愛く見えた。
このときから、私はとりあえず「誰推し?」と聞かれたら「指原推し」と答えるようになった。
当時あまりテレビ番組のアップロードに対して厳しくなかった動画サイトで、
バラエティーの動画を片っ端から漁って見ていたのもこの時期である。
何せバイトもしていない大学生だったので、とにかく暇だったのだ。
渋谷109に貼り出された巨大広告も、わざわざ通学電車を途中下車して写真を撮りに行った。
AKBがいっぱいは発売日に買い、封入特典の生写真はさや姉だったのを覚えている。
この頃、HKT1期生はまさにオーディションの真っ最中なのだが、
私がHKTの存在を意識し出すのはまだ当分先のことであった。
(続く)
2015年3月15日日曜日
ブログ開設に寄せて
「アイドルのコンサートに行く」
「アイドルの握手会に行く」
「アイドルのファンブログを書く」
どれもほんの1ヶ月前までは、自分がすることになるだろうとは思っていなかったことだ。
「思ってもみなかった」とまで強い表現を使わないのは、
元々AKB48グループに関してはかなり熱心なファンであり、
お金は落とさないものの4年近く関心を持ち続けていたので、
こうなることをどこか予期していたところがなかったとは言い切れないからかもしれない。
しかし、この短期間でHKT48にここまでどっぷりハマってしまったのには自分でもびっくりで、
上記のうち最初の2つは既に明治座と12秒の個握に行くことが確定していて、
3つ目も今まさにこうしてキーを叩いて実現せんとしているわけである。
さて、私にこうまでさせた主犯はHKT48チームH、2期生の「ちぃず」こと「梅本泉」であるが、
ひとまず次回からの記事で何回かに分けて、
私がここに至るまでのAKB48グループとの関わりについて書いていこうかと思う。
別段面白くもなければもったいぶるようなことでもないが、
一つ一つの記事をコンパクトに、というのをこのブログのコンセプトとしたいので、
今後の記事もなんとなく流し読んで頂けるだけでも幸甚である。
まずはご挨拶までに。
梅推し歴約3週間のタカハシでした。また。
「アイドルの握手会に行く」
「アイドルのファンブログを書く」
どれもほんの1ヶ月前までは、自分がすることになるだろうとは思っていなかったことだ。
「思ってもみなかった」とまで強い表現を使わないのは、
元々AKB48グループに関してはかなり熱心なファンであり、
お金は落とさないものの4年近く関心を持ち続けていたので、
こうなることをどこか予期していたところがなかったとは言い切れないからかもしれない。
しかし、この短期間でHKT48にここまでどっぷりハマってしまったのには自分でもびっくりで、
上記のうち最初の2つは既に明治座と12秒の個握に行くことが確定していて、
3つ目も今まさにこうしてキーを叩いて実現せんとしているわけである。
さて、私にこうまでさせた主犯はHKT48チームH、2期生の「ちぃず」こと「梅本泉」であるが、
ひとまず次回からの記事で何回かに分けて、
私がここに至るまでのAKB48グループとの関わりについて書いていこうかと思う。
別段面白くもなければもったいぶるようなことでもないが、
一つ一つの記事をコンパクトに、というのをこのブログのコンセプトとしたいので、
今後の記事もなんとなく流し読んで頂けるだけでも幸甚である。
まずはご挨拶までに。
梅推し歴約3週間のタカハシでした。また。
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