2015年7月26日日曜日

もんもん

転職先が決まり、次なる勤務地が晴れて熊本になった。こんなに嬉しいことはない。
会社は熊本城の近くなので、熊本駅からは大体2㎞くらいのところだ。
詳しい規定はまだ聞いていないのだが、
住まいは社員が探してきた物件を代用社宅とするような制度だとのことなので、
理想としては熊本駅と会社の中間地点あたりに部屋を借りて、
どちらにも徒歩でアクセスできるのが望ましい。
ゆくゆくはホンダのヴェゼルあたりの車を買いたいとは思っているのだが、
いずれにせよ劇場へのアクセスは電車の方が早いし安いはずだ。
今から休日の度に劇場へ足を運ぶのが楽しみすぎて発狂しそうである。
くれぐれも身体だけは壊さないよう、適度にはしゃぐことにしたい。

思えばHKTにハマり出してから、人生いいことずくめである。
いや、確かに4月から5月あたりはまさに地獄だった。
このブログにはあまり自分のことは書かなかったが、
風邪を肺炎一歩手前まで拗らせて1ヶ月近く微熱に浮かされ続ける中、
現職のキャリアの中で最も面倒臭い仕事のピークが重なり、
更にはちょうどこの時期に会社に辞意を伝えていたことで、
なんとかボーナスを出すまいとする経営陣とのたった一人の戦いが勃発。
このままでは身体を壊すと思い、手切れ金のつもりで泣く泣くボーナスカットを承諾すると、
畳み掛けるように頑張ってノルマの倍以上売り上げた数字を一切無視した昇給査定を受け、
6段階中最低評価との判断で5月から8月までの給料を大幅に減額される仕打ち。
規定も曖昧なら組合もない、ブラック企業の神髄を味わった時期だった。

しかし、こんな経験も決して無駄ではなかったと今では思える。
もう一方の趣味であるクラシックギターに関しては、
先月と今月で二つのコンクールにそれぞれ入選、入賞を果たしたのだが、
はっきり言ってこれらのコンクールの前は練習どころではなかったので、
練習量で言えばそれまでのコンクールよりも明らかに少なかった。
では何故結果を出すことができたのかというと、ひとえに精神的な要因が大きいと思う。
仕事で酷い目に遭ったことで、「ギターで失敗することくらい何でもない」という、
ある種の精神的な余裕のようなものが生まれ、
更には明治座や横浜アリーナで頑張るHKTメンバーの姿を目の当たりにしたことで、
たかだか100人かそこらの観客の前でギターを弾くことにプレッシャーを感じなくなった。
これは冗談ではなく、出番前の舞台裏では彼女たちが歌って踊る姿を思い浮かべていた。
すると変な硬さが取れ、心地よい緊張感だけが身体に残るのだ。

大袈裟な言い方になるが、
私はHKTメンバーから人間本来の美しさや力強さのようなものを学んだと思っている。
転職活動にしても同じことで、
面接に臨む前に何万人を熱狂させる彼女たちの勇姿を思い出すことで、
自分のこまごまとした悩みがいかにも馬鹿げていることに気付かされる。
すると、不思議と自信満々に言葉がスラスラと口から出てくるのだ。
そんなの関係ないと言われるかもしれないが、
この1ヶ月そこそこで不気味なほど多方面で成果を出し続けていることについて、
全て自分の実力であると信じられるほど私は能天気ではない。
ではどんな外的要因があったのかといえば、
やはりHKTにハマったことが変化としては大きいので、
HKTのおかげだということで感謝するのは私の自由である。
こうした考え方こそ馬鹿げていると思う人もいるだろうが、
HKTメンバーの頑張る姿には、人の心を浄化する力がある。
無条件に応援し、感謝できる対象がいるということは、私は決して悪いことではないと思う。

変な話になってしまった。
最後に、ようやく発表になった博多座追加メンバーについても少し触れておくが、
秋吉ちゃんとじーなという人選は大いに「あり」だと思う。
私が事前に予想したメンバーに秋吉ちゃんは入れていなかったのだが、
あの舞台は小手先の演技力よりも「胆力」が物を言う気がするので、
そういった意味では確かにこの二人はまさに適任と言えるだろう。
8月後半は熊本行きの準備でバタバタしているかもしれないが、
収入が途絶えるリスクは消滅したので、博多座は予定通り複数申し込んでみた。
新たに18人体制にパワーアップした指原一座の舞台を、1回でも多く目撃したいものである。

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